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藤目『恋の痛みも、喜びも……私に教えてくれたのは、貴方ですから』
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彼の言葉に、胸が甘く騒ぐ…―。
見つめ合って数秒、不意に藤目さんの顔が近づいた。
藤目「教えてください、私にもっと……」
(……っ)
熱い吐息が唇にぶつかり、大きく胸が打ち鳴る。
藤目「〇〇さん……」
唇が触れそうになった、次の瞬間……
??「先生! こんなところにいたんですか。探しましたよ!」
藤目「……!」
聞こえてきた声に、藤目さんがはっと目を見開いた。
声の主が気になって窓の外を見てみると、以前会ったことがある男性と目が合う。
(出版社の……飛鳥さん、だっけ?)
飛鳥さんは出版社でアシスタントをしている方で……
飛鳥「〇〇さん! ご無沙汰しております」
〇〇「こんにちは、お久しぶりです」
飛鳥「今、上に行きますので! 先生、逃げないでください、お願いします!」
飛鳥さんはそれだけ言い残し、目の前から消えてしまった。
藤目「まずいですね。今捕まると……」
(もしかして、締め切りが近いのかな?)
藤目さんは締め切りをよく破るらしく、以前編集者の方を困らせていたことを思い出す。
藤目「〇〇さん、逃げましょう」
手を取って部屋を出ようとする藤目さんに、私は……
〇〇「でも……いいんですか? 飛鳥さんも困っているみたいだし……」
藤目「ああ、叱られてしまいました。 でも、貴方に叱られるのは悪い気はしませんね」
楽しげに笑う藤目さんの声に、廊下を駆けてくる足音が重なり。
藤目「あ……」
飛鳥「よかった……〇〇さん、引き留めてくれてありがとうございます」
〇〇「いえ、私は……」
藤目「捕まってしまいましたか……」
飛鳥「先生、本当にお願いします……もう大幅に締め切りは過ぎてるんです」
まるで藤目さんにすがるような、焦った声で飛鳥さんは訴える。
藤目「途中までは書けてるんですけどね。 で、式典の準備で慌ただしくなり、筆が止まっていたんです。 あとは最後だけなんですが、どうしても納得がいく形に書けなくて……」
飛鳥「お忙しいと思い引き延ばしましたが、式典を終えた以上、すぐに執筆に入っていただかないと……!」
(そんな状況だったなんて……)
〇〇「大変な時だと知らなくて、藤目さんと出かけてしまってすみませんでした」
飛鳥「いえ、とんでもない! 私こそすみません。どうしてもこれ以上締め切りが調整できず……」
(藤目さんの小説を待っている人もたくさんいるんだよね)
そう思って藤目さんを見上げると、彼が苦笑する。
藤目「〇〇さん、招待したのに申し訳ないんですが……」
〇〇「藤目さんの小説を待っている人のためにも、完成させてください」
藤目「ありがとうございます」
二人と共に外へ出ると、藤目さんが私を振り返る。
藤目「東雲には、いつまでいらっしゃいますか?」
〇〇「まだしばらくは……」
藤目「書き上がったら会いに行きますので、待っていてください」
藤目さんの執筆が終わったら会う約束をして、私は一人、宿へと帰る。
(あ……月だ。もう見えるなんて)
日が沈み始めた空には、うっすらと白い月が浮かんでいた…-。