第3話 手のひらの温度

二人で式典を抜け出し、心地よい風を感じながら東雲の市街地を歩く…-。

〇〇「あの、藤目さん。式典、抜けてきて大丈夫ですか?」

心配して声をかけるけれど、藤目さんは特に気にした様子もない。

藤目「大丈夫ですよ。来賓の対応も、壇上の挨拶も……式典で必要な役目はきちんと果たしましたからね」

(そういえば、藤目さんってこういう人だった……)

久しぶりに目の当たりにした彼のマイペースさに、思わず頬が緩んでしまう。

藤目「さて、着きましたよ」

藤目さんに手を引かれてたどり着いたのは古い木造の家屋だった。

藤目「ここは、松影が宿にしていた旅館です」

〇〇「ここが……」

藤目さんによると『月夜ニ君ヲ想フ』は、作家である松影自身の体験に基づいたもので、東雲には今も、彼らの思い出の場所がいくつも現存しているらしい。

物語の舞台を前にして、自然と胸が弾んだ。

藤目「松影が使っていた部屋は展示用に解放されていて、中に入れるんです。 入ってみませんか?」

〇〇「はい、是非」

弾む心でそう言えば、藤目さんが満足そうに笑みを深める。

藤目「行きましょうか」

藤目さんに手を引かれ、私はその建物へと足を踏み入れた…-。

家具がほとんどない部屋の窓際に、小さな机がぽつりと置いてある。

その上には、展示用らしい白紙の原稿用紙が広げられていた…-。

藤目さんが窓の障子を開くと、涼やかな風が部屋の空気を洗っていく。

藤目「きっと、この窓から月を見上げていたんでしょうね」

藤目さんの隣に並び、窓の外を眺める。

二階の窓からは、高い建物が少ない東雲の空がよく見えた。

〇〇「空が広いですね」

藤目「松影は月がよく見えるこの部屋でいつも執筆していたそうです。 確かにここならば、いつでも彼女を想うことができますからね」

藤目さんはにっこりと微笑むけれど……

(好きな人のことを想う時間……でも、会えなくて……)

小説の中の二人を思うと、胸が締めつけられる。

〇〇「会いたいと思えば会える距離にいるのに会えないのは、きっと寂しかったでしょうね。 会えないのが辛いから月を見たくないって思うことは、なかったのかな……」

考えながらつぶやくと、藤目さんがわずかに目を見開いた。

〇〇「あ……。 すみません。変なことを言ってしまって」

藤目「どうして謝るんですか? 是非、続きを聞きたいです」

〇〇「でも……」

藤目「いえ、聞かせてください。貴方の言葉で語られる『月夜ニ君ヲ想フ』をもっと聞きたいんです」

藤目さんは目を細めて微笑むと、そっと私の頬に手を伸ばした。

藤目「貴方の言葉はいつも不思議と、私の心を動かす。 恋の痛みも、喜びも……私に教えてくれたのは、貴方ですから」

(藤目さん……)

大きくて安心する手のひらの温度を感じながら、私の胸はとくとくと鼓動を速めていった…-。

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