翌日…-。
私は迎えに来てくれたカゲトラさんと一緒に、一軒の古めかしい家を訪れていた。
開け放たれた障子の向こうからは、小鳥達のかわいらしい声が聞こえてくる。
〇〇「カゲトラさん、ここは……?」
カゲトラ「小説に出てくる文豪の家の、モデルになってる場所だ。 そして……作者である松影が、実際に暮らしていた場所でもある」
〇〇「えっ?」
カゲトラ「驚いたか?」
〇〇「はい……」
思わず部屋の中を見回したその時、隣にいるカゲトラさんが笑みをこぼした。
カゲトラ「いつも、この時間は解放されてるんだが……今日は人払いをしてもらった。 ゆっくり見学するといい」
そう言ってカゲトラさんは腰を下ろし、私に手招きをする。
促されるままに、彼の隣へ腰を下ろすと…-。
カゲトラ「ここで松影は何を思ってたんだろうな」
カゲトラさんが、外に広がる青空を見上げる。
そこには昼特有の白い月が浮かんでいた。
〇〇「ここから月を見上げていたのかもしれませんね」
月と蝋燭が生み出すほのかな光や、紙の上をペン先が滑る音…-。
かつてここに広がっていたであろう光景を想像していた、その時だった。
カゲトラ「『たとえ厚い雲が月を隠そうとも構わない。 この目に映らなくとも、美しき月は雲の向こうで煌々と輝いているのだから』」
〇〇「それって……小説の結びの文ですよね?」
低い声で静かに読み上げられた言葉には、確かに覚えがある。
カゲトラ「ああ。俺はこれを読んで、この物語は悲恋じゃねえと思ったんだ。 昔読んだ時は、いまいちしっくりこなかったんだが……。 文豪の想いは、この文章にすべて込められてるんじゃないかと思った。 文豪にとっての美しき月……別れを選んだ女への想い……。 それがわかるようになったのは……」
カゲトラさんが、私の手をそっと握った。
(カゲトラさん……?)
否応なしに沸き上がる期待や高鳴る鼓動を抑えながら、私は彼を見つめ返す。
すると……
カゲトラ「俺がそれに気づけたのは、お前がいたからだ」
私の手を握るカゲトラさんの力が、少しだけ強くなる。
鋭さを感じる彼の瞳は、愛おしげに細められていた…-。