霞を溶かしたような波音がやけに大きく響く。
俺は、〇〇を抱いたまま籠に乗せられ、部屋へと戻った。
医師「オリオン様、どうかお離しください」
体温を取り戻しつつある彼女と反対に、首から血を流し続けている俺の体温は失われていく。
医師「このままでは王子のお命が……」
オリオン「俺を助けたかったら、さっさとこいつを目覚めさせろ」
強く命じたつもりだった。
それなのに、俺の声は掠れ、ひどく頼りなく聞こえる。
(目覚めろ……! 頼むから)
失われていく力をかき集め、彼女を強く抱きしめた。
医師「オリオン様! もう十分です!どうか……!」
オリオン「……っ」
視界が歪み、呼吸もままならない。
それでも俺は、彼女を離すことなどできなかった。
執事「オリオン様!」
オリオン「触るな! こいつは俺のせいでこんなことになったんだ! 俺から逃げようとして……っ!」
その時、彼女の手から何か光るものがこぼれ落ちる。
(これは……?)
それは俺が贈った貝殻のネックレスで、彼女がことさら喜んでくれたものだった。
贈った時の彼女の笑顔を思い出し、細い鎖を握りしめる。
執事「……まずは、姫をベッドに寝かせ、お手当を。血はもう十分。姫はすでに力をお持ちです」
執事が静かに告げる。
オリオン「……医師、確かか」
医師「はい。ですから、どうか……」
オリオン「……わかった。そのかわり、こいつが目覚めるまで俺はここにいる」
…
……
メイドの手を借り、着替えと手当を終えると、俺は彼女のベッドに腰をかける。
ベッドサイドでは医師が注射の用意をはじめていた。
オリオン「……おい、別の方法はないのか」
壁にもたれながら、光る針と彼女の細い腕を交互に見つめる。
医師「オリオン様、これは必要な処置です」
オリオン「……慎重にやれ」
(あんなものを刺されたら痛いだろう……)
医師「……オリオン様」
医師が、かすかに声を立てて笑った。
医師「あなたが注射されているようですよ」
気付かぬうちに顔をしかめていたのかもしれない。
オリオン「う、うるさい」
ただでさえ力が出ないのに、決まり悪さに声がますます小さくなる。
医師「もう終わりましたからご安心ください」
オリオン「……〇〇は、本当に力を得たのか?」
医師「ええ。ボロボロだったお体が再生していますから、間違いなく」
オリオン「そうか」
医師が一礼して部屋を出て行く。
(ならば、こいつは地上に帰る力を得たということだ)
(行ってしまうのか……?)
(俺から逃げてシャボンの外まで行ったんだ。帰るんだろうな)
暖かさを取り戻した彼女の手を握ると、胸の内がざわめいた。
オリオン「……悪かったな。 もう、無理強いしたりしない」
(だから……だから、側にいてはくれないか?)
華奢な手の甲に唇を落とす。
その時……彼女のまぶたがゆっくりと開いた。
オリオン「〇〇! おい、目覚めたぞ」
上ずる声で、扉の外に控えているであろう医師を呼ぶ。
〇〇「あの、私……?」
急ぎ脈や呼吸を調べて、医師が安堵のため息を吐いた。
医師「力を持たないまま、シャボンの外に出られたのです。 オリオン様が力を与えてくださらなかったら……あなたは、あと少しで死ぬところだったのですよ。 さあオリオン様、もう宜しいでしょう。どうかお休みに。 体中の血が抜けてしまっているのです。このままではあなた様のお命が……」
オリオン「俺のことはいい。 側にいる……」
不覚にも涙が零れそうになり、震える声を無理矢理絞り出す。
次の瞬間、ぐらりと視界が揺らいだ。
(まだだ……! 〇〇に伝えていない)
〇〇「オリオンさん……っ」
肩が冷たい床にぶつかり、彼女が俺を呼ぶ声が聞こえる。
どれだけ望んだだろう。
冷たく青ざめていたその唇が、再び俺の名を呼ぶことを…―。
オリオン「〇〇……」
掠れる声が彼女に届いたかはわからない。
ただ、彼女の澄んだ瞳を見ると、柄にもなく胸がいっぱいになった。
(好きだ……)
(思い通りにならなくても、お前が好きだ)
言葉にならない思いを込めて、彼女の瞳を見つめる。
遠くで波がさざめいていた…―。