イリアさんの強い態度に呆気に取られていた王妃様を残して、私達は食堂から出てしまった。
(大丈夫かな)
イリア「……〇〇様」
〇〇「は、はいっ!」
私の前を歩くイリアさんに、不意に呼びかけられる。
イリア「あの丘へ、行きませんか?」
〇〇「丘へ……?」
…
……
イリアさんに手を引かれるままに、私は再び丘へとやってきていた。
私達は、その星空のように光輝く街並みに息を呑んだ。
〇〇「夢の中にいるみたい……」
イリア「本当ですね……とても美しい……。 夕方は燃えるように赤く染まり……夜は星のように輝く……。 同じ場所なのに、これほどいろいろな表情をもっているなんて考えたこともなかった。 〇〇様のおかげです」
〇〇「私は何も…―」
イリア「いいえ」
イリアさんが私に向き合い、星空を閉じ込めたような輝く瞳で見つめる。
イリア「突然連れ出して申し訳ありませんでした」
〇〇「気になさらないでください。でも、大丈夫ですか?」
そう問いかけると、彼は悪戯っぽく微笑んだ。
イリア「なぜでしょう。なんだか、清々しい気分です。 夜に外出するなんて、初めてなんです。母に背いたことも……」
〇〇「え……?」
イリア「驚かれましたか?」
少し淋しそうに笑って、イリアさんは続ける。
イリア「幼い頃、私が病弱だったせいもあり母はとても心配性で……。 私はそんな母に心配かけまいとしてきました。 すぐに体を壊してしまうから、ほとんど自室のベッドの上で過ごして。 何もできない自分に失望されるのが怖くて、いつも母に褒められることだけをして……。 まあ、ベッドの上でできたことと言えば、勉強くらいでしたけど。 実は双子の弟がいるのですが、彼にもあまり会わせてもらえませんでした。病気がうつると言われて」
(そんな過去があったなんて……)
イリア「外で自由に遊べる弟が、本当にうらやましかったです。 弟に負けまいと、私はいっそう母の期待に応えることに必死になりました。 元気になった今も、お恥ずかしいことにその癖は抜けなくて……。 けれどそれが、自分の視野を狭めているのだとしたら……」
〇〇「イリアさん?」
イリアさんの瞳が、焦がれるように星空を仰ぎ見る。
イリア「私は、変わりたい。いや、変わらなければいけない」
まっすぐに空を見つめる水色の瞳に、私の胸がトクンと音を立てる。
真剣な表情のイリアさんが、不意に私に向き直り、柔らかく微笑んだ。
イリア「この景色を、貴方と見られてよかった……」
煌めく景色と、甘い夜の闇に、彼の優しい声が溶けていった。
…
……
それから数日が経ち、私の滞在も今日で終わりを迎える。
〇〇「これで全部かな」
荷物をまとめながら、ひどく寂しさが胸に押し寄せていた。
(私……)
その時……
イリア「もう帰られてしまうのですね」
〇〇「……イリアさん!」
開け放しにしていた扉にもたれかかり、こちらを見つめるイリアさんがそこにいた。
イリア「入っても?」
〇〇「どうぞ」
イリアさんが室内に入り、まとめ終えた私の荷物に寂しそうな視線を向ける。
イリア「このまま、帰らなければいいのに……」
〇〇「え……?」
思わず見上げるとイリアさんが優しく微笑んだ。
あまりに優しい眼差しに、思わず顔が熱くなる。
イリア「〇〇様」
イリアさんが私の足元に跪き、真剣な瞳で私を見上げる。
〇〇「イリアさん!?」
イリア「どうかこれからも、私の傍にいていただけませんか?」
(傍に……?)
イリア「お慕い申し上げております、〇〇様」
〇〇「え……っ」
イリアさんが、私の手を取って柔らかなキスを落とした。
彼の突然の言葉と仕草に、頬が染まっていくことがわかる。
何度も瞳を瞬かせ、彼の言葉を噛みしめた。
(お慕い……)
(これからも、イリアさんの傍に……)
その風景を思い浮かべて、私の胸がトクンと音を立てる。
二人で食べたジェラート。
丘から見た夕焼けの世界と、星空のように瞬く夜の街。
それを見て瞳を輝かせるイリアさん…―。
いろいろな思い出が巡り、息をするのも苦しいほどに私の心を満たした。
イリア「〇〇様?」
黙り込んでしまった私の顔を、イリアさんが覗き込む。
その瞳に私は笑いかけた。
〇〇「私……イリアさんと見る世界が、大好きみたいです。 また、あの丘に行きたいな」
イリアさんが嬉しそうに瞳を輝かせる。
イリア「貴方が望むなら、いつでもお連れしましょう。 〇〇様が教えてくれた、美しい世界を見に」
これから彼と見る美しい世界を思い、私はにっこりと微笑みを浮かべる。
イリア「そして……。 その笑顔を見るために……」
彼の長い腕が私の首の後ろを引き寄せる。
〇〇「……っ」
瞳を閉じると、唇にこの上なく優しい口づけが落とされる。
イリアさんの腕に抱かれながら、私も彼の背中にそっと手を回すと……
未来への期待と、幸福感で胸がいっぱいになっていった…―。
おわり。