空気が澄んだ、寒い寒い夜…―。
俺は月明かりの下で〇〇の手を取りながら、凍った湖の上を滑っていた。
グレイシア「この前より全然滑れるようになったな」
〇〇「本当?」
グレイシア「ああ、思ったより器用なんだな……あ」
呼ぼうとして、初めて俺は彼女の名前を知らないことに気が付いた。
〇〇「……?」
(なんか、すっかりこいつのこと知った気になってたけど……)
不思議な気持ちになりながらも、努めて自然に俺は彼女に問いかける。
グレイシア「そういや、名前聞いてなかった。お前なんて言うの?」
〇〇「〇〇です」
グレイシア「〇〇……なかなか、いい響きの名前だな」
彼女の名前を口にするだけで、胸になんとも言えない愛おしさが込み上げ……
俺は柄にもなくつい微笑んでしまう。
(不思議な奴……)
〇〇といると、なぜだか心が穏やかになる。
〇〇「ありがとう、嬉しい。こんな風にスケートをして過ごせるなんて思ってもみなかった」
礼を言った後、〇〇は俺の手を離してひとりで滑り出す。
(なっ……)
グレイシア「調子に乗るなって……っおい!」
〇〇「っ!」
俺の呼びかけも虚しく、彼女は氷面にあった小さな窪みに足を取られ……
グレイシア「危ないっ!」
無我夢中で〇〇へと手を伸ばすと、すぐさま大きな衝撃がやってきて、彼女を庇って下敷きになった俺の体に鈍い痛みが走った。
けれども…―。
(……!!)
想像以上に近くにある〇〇の顔に、体を打ちつけた時以上の衝撃が走り……
鼓動が大きく跳ね上がった瞬間、痛みはどこかに吹き飛んでしまっていた。
〇〇「……っ」
グレイシア「……」
お互い言葉すら失い静まり返る中、高鳴る鼓動だけがやたらと大きく聞こえ、焦りと恥じらいから、思わず視線が泳いでしまう。
すると、その時…―。
グレイシア「……あ」
〇〇「どうしたんですか?」
グレイシア「見てみな、空」
〇〇の肩越しに見える夜空に目を奪われた俺は、彼女の肩を抱くようにして、自分の傍らに横たえる。
〇〇「わぁ……!」
二人で見上げた空には、漆黒のベールを彩るように、幾千もの星が瞬いていた。
グレイシア「……綺麗だな」
〇〇「はい……」
俺は心の赴くままに、〇〇の華奢な指を自らの指で包み込んだ。
(……少し、冷たいな)
(俺のことを探してたから……)
そう思ったのもつかの間、俺の熱が伝わったのか彼女の指は徐々に熱を帯び始め、俺の心も少しずつ温かいもので満たされていった。
〇〇「すごいですね……こんなに綺麗な星空、初めて見ました」
グレイシア「スノウフィリアは空気が澄んでいるからな」
俺達は手を繋いだまま、空で瞬く星々を見つめる。
〇〇「あっ、流れ星……。 本当に、綺麗……」
流れ星を見つけた〇〇は、これまで以上に嬉しそうに星空を見上げ……
俺はそんな彼女から、どうしても目が離せずにいた。
〇〇「ねえ、グレイシアく…―」
俺の方を向いた〇〇と視線がぶつかる。
その瞬間、またも俺の鼓動が大きく跳ね上がった。
―――――
〇〇『私はグレイシア君のお兄さんだから、気になっただけで、私が知りたいのは……その……」』
グレイシア『何だよ?』
〇〇『だから……グ、グレイシア君、です……』
―――――
(俺のことが……知りたいって)
あの時の言葉を思い出すと、心に温かなものが広がっていく。
グレイシア「お前……本当に変な奴だな」
〇〇「え……」
グレイシア「お前は、兄さんじゃなくて俺のこと、知りたいって言ってくれただろ? そんなこと言われたの、初めてなんだ」
俺は手のひらで〇〇の頬を包む。
グレイシア「……教えてやるよ」
〇〇「グレイシア君……」
グレイシア「何で俺が城に戻らずに、ここにいたと思う?」
〇〇「何でですか……?」
(……なんか、いざ言葉にするとなるとすげえ恥ずかしいな)
(けど……)
俺はつい視線を彷徨わせてしまった後、小さく咳払いをする。
グレイシア「……お前が来ると思ったから」
そう短く言った後、俺は〇〇の返事を待つ。
〇〇「……来ちゃいました」
(はっ……なんだよ、それ)
(本当、変な奴……)
恥じらうように顔を伏せる彼女の言葉に、思わず笑みがこぼれてしまった後……
グレイシア「……」
〇〇「あ……」
俺はそっと、〇〇の唇にキスを落としたのだった…―。