月SS 存在が与える影響

会談の日程が差し迫る中、僕は資料探しに明け暮れていた。

脳の疲労が蓄積されているせいか、2時間前よりも作業効率が40%ほど低下している。

(……糖分を摂取しなければ)

僕はふと、先日行った実験のことを思い出していた…-。

……

脳の疲労を回復するため、以前彼女と訪れた巻き菓子の露店に向かった。

生地の中に大量のクリームを詰め込んだ菓子を受け取り、一口かじる。

(……甘い)

確かにブドウ糖は脳に供給されたが、彼女といた時に湧き出た脳内物質が発生している様子はない。

(そうか。路上を歩くというのも条件の一つだったな)

彼女と歩いた時と同じ道を、寸分違わず同じ速度で歩く。

しかし望んだ結果は得られなかった。

(なぜ再現できない? 気候が異なるからだろうか。いや、それとも睡眠時間が影響しているのか……)

菓子を食べ終わり、手を拭いたところで、僕は最も重要な要素が欠けていることにようやく気づいた。

(……〇〇だ)

……

あの時、彼女は僕の手を握り、口元についたクリームを指ですくってくれた。

彼女が傍にいたからこそ、僕の脳は多幸感を覚えるなんらかの物質を分泌したのではないだろうか。

(彼女は今、何をしているのだろうか)

最近、不意に彼女のことを考えている自分に気づき驚かされることが増えている。

(糖分は必要条件ではあるが、絶対条件は〇〇ということになるのだろうか)

(彼女の笑う声、困る声、照れる声、どれもすべてが、僕の感情……いや、脳に影響を与えている)

(〇〇という存在は僕にとって……しかし…-)

夜が更けるにつれ、彼女の存在が僕の思考を圧迫していった。

……

パーティも無事に終わり、僕は部屋を訪ねてきた彼女と一緒に過ごしていた。

最高の形で仕事を終えて、僕は今までに感じたことがないほど気持ちが昂っていた。

〇〇「ロイエさん、もしかして昨日から寝てないんじゃないですか?」

どうやら机の上を見られたようで、彼女が不安そうな瞳で僕を見つめる。

(……いや。彼女に心配をかけるのは僕の望むところではない)

そう判断した僕はベッドに寝転がり、仮眠を取ることにした。

ところが彼女は仮眠では不安だと言わんばかりに、おずおずと睡眠時間を増やすようにと主張した。

ロイエ「大切なのは、睡眠の量ではない。質だ。 1時間30分ごとの睡眠は快適に目覚められるという研究計画がある」

〇〇「そういう問題なんでしょうか」

ロイエ「ならば、それ以上に効率的な疲労回復方法はあるのか?」

〇〇「それは……」

困ったように目を伏せて、彼女が何やら考え込んでいる。

(……君は僕以上に僕の体を案じてくれる。ありがたいが、同時に複雑な感情を覚える)

(複雑というのは論理的ではない。そう、その度に温かな感情が沸き上がる)

(嬉しい? 違う、これは……)

僕は、未だ熟考している〇〇の手を掴み……

ロイエ「短時間でより心身の緊張をほぐし、疲労回復する方法が……ここにあった」

〇〇「えっ……」

彼女が僕の上に覆いかぶさり、互いの息づかいを感じるほどの距離で見つめ合う。

ロイエ「科学でも医学でも証明できない事象が僕の中で起きていた。 君の言葉、仕草、香り、鼓動までもが僕の心身を癒していく」

彼女の髪に手を伸ばすと、指先を通じて、彼女の熱や体の震えが僕の中にも浸透していく。

通常時より上気した頬に気づけば、自然と感情が昂っていく。

ロイエ「ああ……君の表情はやはり僕の胸を熱くさせる。この感情の名は…-」

僕は口を閉ざし、再び彼女の髪を撫でた。

(その感情をなんと呼ぶのか、僕も知識としては知っている)

(だが彼女には、それを言葉ではなく、行動で伝えたい)

ロイエ「君に気づかされたこと、教えてもらったことが多すぎる。 すべて、君のおかげだ。いや、すべてなどと漠然とした括りで君を評価したいわけではない。 しかし実際に、君の言葉が、君の行動が僕の思考に道筋を与えてくれた。 二者が繋がることで画期的な化学変化が起こるのだと……僕自身が証明できる」

彼女の首筋に唇を落とすと、その動きに呼応するように彼女の体が小さく跳ねる。

(二者が一つになるほどの繋がりは、いったい何をもたらすのか……)

(この疑問を追う原動力となっているのは探求心だろうか。それとも……)

潤う彼女の瞳に、僕の姿が映り込む。

(……今は、これ以上の考察は難しそうだ)

(今はこの思考をすべて、彼女だけに使いたい)

指先で触れるにつれ、彼女の体が熱くなっていく。

その熱を取り込むように、僕は彼女の胸元へと唇を近づけた…-。

おわり。

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