そして、歌劇の練習が終わって…―。
私は約束通り、シュティマさんと共に街外れの薔薇園を訪れていた。
手入れの行き届いた園内には、さまざまな種類の薔薇が誇らしげに花を咲かせている。
シュティマ「見事に咲いてるな……ここへ来たのは久しぶりだ」
薔薇の芳香を楽しむように、シュティマさんが深呼吸した。
シュティマ「前に来た時は、フリューと一緒だったんだ。あの時と、咲いてる種類が結構変わってるなあ」
〇〇「そうなんですね。色とりどりで、とても綺麗です」
美しく咲く薔薇に囲まれながら、シュティマさんが思いを馳せるように目を細めた。
シュティマ「薔薇は、種類によって象徴されるものが違う。 歌劇では、ヒロインと仮面の男、ヒロインを仮面の男から守ろうとする幼馴染が登場するが……。 彼らの想いも全部、薔薇に込められているんだ」
〇〇「……素敵ですね」
話をしながら歩いていくと、花びらが特徴的な薔薇が目に入った。
(この薔薇は、どんな意味があるのかな)
優美な深紅に惹かれ、ゆっくりと花に歩み寄っていく。
ひときわ華やかな存在感を放つ一輪に、つい手を伸ばした時だった。
シュティマ「〇〇」
半歩ほど後ろにいたシュティマさんが、私の手を掴む。
〇〇「……っ」
シュティマ「この品種、確か見えにくいところにも棘をつけるやつだから、気をつけた方がいいぞ」
触れられたところから、彼のぬくもりが伝わってくる。
彼が掴んだ手を、反対側の手でそっと握った。
〇〇「すみません、不注意で……」
シュティマ「いや。こんなこと言ってるけど、俺も触ろうとして同じようにフリューに止められたんだよ」
なんでもないようにそう言うと、シュティマさんは掴んでいた私の手を離して……
少し向こうにある薔薇の方へと歩いて行ってしまった。
(きっと、弟さん達と同じ感覚で接してくれてるんだよね)
そう思うと、ちくりと胸が痛くなる。
気持ちを落ち着かせようと、深紅の花に視線を投じた。
その時……
シュティマ「仮面の男が、薔薇の花に込める想い、か……」
シュティマさんのつぶやきが耳に届き、私は彼の方を振り返る。
すると…-。
シュティマ「~♪」
胸に片手をそっとあてて……シュティマさんが、仮面の男の歌を歌い出す。
その声には妖しげな気品と艶めかしさがあり、練習での不調が嘘のようだった。
(これが、シュティマさんの本来の歌声……)
(情熱的なのに切なげで、胸が締めつけられる)
シュティマ「……」
薔薇園に、彼の歌声が響き渡る。
甘いビブラートと共に、彼の歌声は花の香りに溶けるように儚く消えていった。
(すごい……)
私は、気づけば拍手を送っていた。
〇〇「シュティマさん、感動しました……!」
胸に込み上げてきた言葉をそのまま伝えると……
シュティマ「……ありがとう」
歌の余韻が残しているのか、シュティマさんはどこか艶めいた笑みを浮かべた。
ゆっくりと、シュティマさんの目が閉じられる。
(シュティマさん?)
不意に訪れた沈黙が辺りを覆い、なぜだか鼓動が速くなった。
やがて……
シュティマ「『当然でしょう?』」
静かに開かれた瞳とその声色に、妖艶さが宿っている。
シュティマ「『私には、歌がすべて。貴方の心を私の歌で満たすために……ここへやって来たのですから』」
(シュティマさん……?)
いつもとは全く違う雰囲気の彼に、私は思わず息を呑んだ。
役に入り込んだままの彼が一歩近づき、そっと私の髪に触れた。
〇〇「!」
シュティマ「……」
情熱的な眼差しで見つめられて、言葉が出なくなる。
(どうして……こんなにドキドキするんだろう)
彼と視線を交わしたまま、胸に手をあてた瞬間……
シュティマ「それにしても……」
ふっと……シュティマさんのまとう雰囲気が柔らかなものに変わる。
シュティマ「お前といると、ちゃんと歌えるようになるんだ。なんでだろうな?」
シュティマさんは私の髪から手を離して、思案顔で腕組みをした。
先ほどの妖艶さは、霧のように消えてしまっている。
(びっくりした……)
今もまだ、手を伸ばせば触れられる距離にいるのに……
そのことを気にもかけない様子の彼に、胸が甘い痛みを覚えるのだった…-。