少し冷たい風が肌に心地よい、翌日…―。
私は、イリアさんの部屋に招かれていた。
イリア「〇〇様」
読みかけの本から顔を上げ、イリアさんが私を招き入れた。
〇〇「すみません。お仕事中でしたか?」
イリア「いいえ。ちょっと手に取っただけだったのですが、つい熱中してしまいました」
〇〇「何の本を読まれていたのですか?」
イリア「これはガロム理論の本です」
(ガロム?)
聞いたことがない言葉に、私は首を傾げた。
イリア「ご存じないでしょうか?」
〇〇「はい……知りません」
無知が恥ずかしくなってまばたきをすると、イリアさんが優しく笑いかけてくれる。
イリア「私としたことが……ガロムは我が国独自の学問なのです。 ガロム理論というのはこの国での魔術の在り方を説いた物なんです」
〇〇「魔術! イリアさんも、魔術が使えるのですか?」
イリア「ええ。我が国では国民の約半数が魔術を使えるのですよ。 王家に生まれ魔力を持つ者は、幼い頃からガロムを学ぶことになっているのです。 例えば……」
イリアさんがとても楽しそうに説明をしてくれる。
(でも、難しくて全然わからない……)
イリア「もっとよく学んで、国の役に立ちたいと思っているのです」
(イリアさん……)
彼の輝く瞳を、まぶしい気持ちで見つめる。
すると、ふと気がついたように、彼は本を閉じた。
イリア「すみません……私ばかり夢中になってしまい……」
〇〇「いえ」
私が笑いかけると、彼は微かに頬を染める。
イリア「〇〇様はどんな本がお好きなのですか?」
(本……)
〇〇「私は、物語が好きです」
イリア「物語、ですか……」
ふむと考え込むように、イリアさんが自身の顎に手を添える。
イリア「すみません。あまり読んだことがないもので……。 どのようなところが面白いのか教えていただけますか?」
〇〇「えっと……まるで主人公の友達になった気分で応援してしまうところ、でしょうか。 ハッピーエンドになると嬉しくて、私も頑張ろうって思えるんです」
ふとイリアさんの方を向くと、彼は嬉しそうに私を見つめている。
〇〇「す、すみません……つい」
(ついはしゃいじゃった……恥ずかしい)
イリアさんが、不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
イリア「なぜ謝るのですか? ご説明がお上手で、とても楽しそうだと思えましたよ?」
(よかった……嬉しい)
イリア「今まで私は、学術書しか好んで読んできませんでした。 だから、物語などの楽しみ方がわからなかったんです」
〇〇「そうだったんですか」
イリア「でも〇〇様のお話を聞いて、読んでみたくなりました。 そのように本を楽しむことができるのだと、初めて知りました」
イリアさんが私の手を握り、まっすぐに私の瞳を覗き込む。
イリア「ありがとうございます」
彼の輝く瞳から目を逸らせず、私の頬が熱くなっていく。
イリア「そうだ。よろしければ、庭で本を読みませんか?」
〇〇「は、はい……!」
心臓がどきどきしているせいか、声が裏返ってしまう。
イリア「では、決まりですね」
午後の日差しを受けて、木々が木陰を作りだす。
その下で、私とイリアさんは本を開いた。
ゆっくりと過ぎて行く時間に、まぶたが重くなっていく。
(なんだか……気持ちよくて眠ってしまいそう……)
…
……
(……歌声?)
まどろみの中に、ふと優しい子守唄が聞こえてくる。
(どこかで聞いたことがある曲……でも……)
音程もリズムも合っていなくて、お世辞にも上手いとはいえないけれど……
その優しい歌声は、なぜだか耳に心地よい。
〇〇「イリアさん……?」
(私、いつの間にか眠って……?)
頬に当たる暖かさに顔を上げると、イリアさんの肩で眠っていたことに気づいた。
すると、不意に歌声がやんだ。
イリア「すみません、起こしてしまいましたか?」
イリアさんが申し訳なさそうな声で私を見下ろした。
イリア「下手だとはわかっているのですが……つい」
その言葉に、私は……
ヒメ「……そうですね」
イリア「そうでしょう? 皆の前でも歌わないことにしてるんです」
イリアさんがフレームの向こうの瞳を恥ずかしそうに細める。
〇〇「でも……。 イリアさんの子守唄、とても優しくて……胸が温かくなりました」
イリア「〇〇様……」
嬉しそうで、けれどどこか照れくさそうな微笑みが、午後の柔らかなまどろみの中に溶けていった…―。