月7話 初めて見る顔

どの温泉に入るか悩んでいるうちに、辺りはすっかり暗くなっていた…-。

〇〇「どこの温泉がいいでしょうか……」

アルタイル「こう種類が多いと、悩んでしまうな」

立ち並ぶ湯屋を横目で見ていると、冷たい夜風に乗って花のような香りがわずかに漂ってくる。

アルタイル「……いい香りだな」

〇〇「はい。これも、温泉の匂いでしょうか?」

アルタイル「探してみようか」

こうして私達は、匂いの元をたどることにした。

……

香りをたどって進むうちに、どんどん薄暗い道へと入っていく。

アルタイル「足元は大丈夫か? よく見えないだろう」

〇〇「ちょっと怖いですけど……ヴィクトルさんなら、わくわくしそうですよね」

アルタイル「ああ。どんな温泉があるんだろうって走り出しそうだな」

賑やかなヴィクトルさんのことを思い出すと、足取りが少し軽くなる。

〇〇「たまにすごく突拍子がないことを言いますけど、前向きで面白い人でしたね」

彼らと過ごした時間を思い出すと、自然と笑みがこぼれた。

〇〇「今度会った時は、勇利さん達がスケートをする姿を見てみたいです」

アルタイル「……」

アルタイルさんに視線を移すと、いつの間にか顔から笑みが消えていた。

(あれ? どうしたんだろう……)

その表情は、どこか思い悩んでいるようにすら見えて……

〇〇「アルタイルさん?」

心配になって声をかけると、彼はハッと目を見開いて、困ったように眉尻を下げた。

アルタイル「……ああ、すまない。なんでもないんだ」

(大丈夫かな?)

そう思うものの、それ以上は尋ねることができず……

やがて歩みを進めるうちに、芳醇な香りはいっそう強くなっていった。

(あれは……)

細い通りを抜けると、立ち上る白い湯気が見えた。

〇〇「あの温泉から香りがしていますね」

アルタイル「……そうだな」

弱々しく返事をした彼は、顔を赤らめとろんとした瞳で温泉を見つめている。

(もしかして……具合が悪いのかな?)

〇〇「あの……」

アルタイル「……」

〇〇「大丈夫ですか?」

返事がないことが心配になり、彼の肩に手をかけようとした時……

アルタイルさんの体が、私から勢いよく離れた。

〇〇「アルタイルさん……?」

突然のことに驚いていると、彼が申し訳なさそうに口を開く。

アルタイル「あ……すまない。この匂いを嗅いでると頭がぼーっとして、自分じゃなくなりそうなんだ」

〇〇「え?」

アルタイル「だから、あまり俺に近づかないでくれ……」

そう話しながらも、彼の呼吸はどんどん荒くなっていく。

(これ以上具合が悪くなったら……)

〇〇「それなら、早く休める場所に…-」

言葉を遮るように、彼は私の手を強く掴むと、ぐっと引き寄せて抱きしめた。

〇〇「……!」

苦しさで身動きが取れないでいると、熱い吐息が耳元を撫でる。

〇〇「……! あ、あの……?」

アルタイル「……本当は、もっとお前に触れたい。 今は……俺のことだけ考えてほしい」

(何かおかしい……いつものアルタイルさんじゃないみたい)

体をよじって見上げた先にあったのは……

のぼせたような表情を浮かべた、初めて見る彼の顔だった…-。

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