月最終話 あなた様のような果実

桜の花びらが静かに舞い落ちて、川の流れに運ばれていく。

そんな風流な光景の中で……私達は大声を上げていた。

〇〇「何してるんですか、ネペンテスさん!」

川へ飛び込もうとしたネペンテスさんの腕をとっさに掴み、引き止めようとするけれど……

ネペンテス「止めないでください。美食の追求のためです! 私の放つ香りで、生き物達をおびき寄せるのです」

川の流れは決して遅くはなく、ネペンテスさんが入れば流されてしまいそうに思える。

(それに、まだ春先で川の水も冷たいのに……!)

私は恥ずかしさも忘れ、ネペンテスさんの腕にしがみついた。

〇〇「そんな無茶をしたら、風邪を引いてしまいます!」

ネペンテス「いいえ、これはあなた様との究極の美食のため!」

〇〇「それよりネペンテスさんの体の方が大事です……!」

そこまで言ってもネペンテスさんは眉根を寄せたまま、なんとしても川に入ろうと、必死に私の腕を振り解こうとする。

(止めないと……!)

私はその一心で、ありったけの力を振り絞って彼の腕を引っ張った。

〇〇「待ってください……っ!」

すると次の瞬間、勢い余って体勢を崩してしまう。

(危ない……!)

ネペンテス「〇〇様!」

ネペンテスさんが驚きで目を見開きつつも、私の体を支えようとする。

けれど結局間に合わず、二人一緒に川の浅瀬に倒れ込んでしまった。

ネペンテス「〇〇様! お怪我はありませんか!?」

(あ、あれ……?)

いつの間にか、私はネペンテスさんにしっかりと抱き込まれていた。

不安そうに揺らめく瞳が、まっすぐに私を見つめている。

ネペンテス「申し訳ありません! あなた様まで巻き込んでしまって」

〇〇「いえ、私は……」

(……かばってくれたんだ)

ネペンテス「あなた様を危険に晒すなんて……この方法はやめた方がよさそうですね」

残念そうに肩をすくめ、濡れた髪を振り払う仕草がどこか艶っぽく見える。

ネペンテス「心配をおかけして、すみませんでした」

〇〇「い、いえ……」

ドキドキと弾む鼓動を悟られたくなくて、視線を逸らすけれど、ネペンテスさんは妖艶な笑みを浮かべると、私の顔を覗き込んできた。

ネペンテス「そんなに美味しそうな顔をしないでください。 今すぐ隅々まで、しゃぶり尽くしたくなってしまいます」

〇〇「……っ!」

私は心を絡め取られないよう、必死に動悸を抑えようとしたのだった…-。

……

夕陽も沈み始めた頃……

私達は川沿いに咲いていた桜の木の根元に腰を下ろし、濡れた体を拭いていた。

(さっきから心臓がうるさい……)

隣で髪を拭くネペンテスさんが放つ色香に、私の鼓動は忙しないままで……

(落ち着かなきゃ……)

どうにか動揺を抑えたくて、私は桜に視線を移す。

花が散りかけている木の枝を見ると、そこには赤い実がたくさんなっていた。

(かわいい実……サクランボみたい)

その実を取ろうと背伸びをしていると、突然体がふわりと宙に浮いて…-。

ネペンテス「赤くて小さくて甘そうで……まるで、あなた様のような果実だ」

私を軽々と抱き上げたネペンテスさんが、しっとりとした声色で囁く。

ネペンテス「採ってくださいますか?」

私はその言葉に促されるまま、赤い実を摘んだ。

ネペンテス「桜は味覚としては面白みに欠けるものです。しかし……。 花で目を喜ばせ、果実で舌を楽しませ、人々に暖かな季節を告げる。 あなた様の言う、五感で楽しむ食事にはぴったりかもしれません」

〇〇「そうですね……」

桜の花を見つめながら話すネペンテスさんは、どこか切なそうに見えた。

(ネペンテスさん、何を思ってるんだろう)

憂いを帯びたその表情に釘づけになっていると……

ネペンテス「では……お願いします」

(え?)

口をわずかに開けて、ネペンテスさんが私を促すような視線を送ってくる。

(これって……食べさせてって、ことだよね?)

頬を熱くしながらも、私は彼にそっと赤い実を咥えさせた…-。

ネペンテス「ふむ……」

赤い実を味わった彼が、やがて神妙な面持ちになる。

ネペンテス「やはり、味はどうということはない」

〇〇「そう……ですか」

肩を落とす私に、ネペンテスさんの手が伸びてくる。

ハッと顔を上げると、彼の手のひらが私の頬を包み込んだ。

ネペンテス「私はそろそろ、あなた様という蕾もほころばせたいと思っています。 あなた様が咲かせる花は、きっと舌触りのいい、とろけるような美食になるでしょう」

気がつくと、すぐ目の前にネペンテスさんの顔が迫っていた。

瞳の中に揺らめく熱が、まっすぐに私を捉えて離さない。

ネペンテス「さあ……二人で一緒にいただきましょう」

〇〇「ん……っ」

ネペンテスさんの舌が、私の口内に割り入ってくる。

突然のキスへの驚きは、ふわりと広がる甘美な感覚に溶けるように消えていった。

(甘酸っぱくて切なくて……)

(もっと欲しくなってしまいそう……)

私はネペンテスさんに求められるままに、いつまでもいつまでも春の味を堪能したのだった…-。

おわり。

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