月最終話 傍にいて、俺の……

その後も何度か追っ手を撒いて、ハーツ君の言った国境付近に近づく頃には夜半過ぎになっていた。

いつの間にか雲は晴れ、ひっそりとした月光が、枝の合間から下生えに落ちている。

ハーツ「ちょっとピンチだったけど、ここまでくればもう大丈夫だ。 少し休むか?」

ハーツ君が、私を元気づけるように笑いかけてくれる。

◯◯「うん」

追っ手から逃れる間中、ずっと気を張り詰めていたからか、ふっくらと苔生す地面に腰を下ろすと、疲れが押し寄せてきた。

◯◯「ハーツ君……どうして私を助けてくれたの?」

ハーツ「どうしてって?」

◯◯「だって、私はハーツ君の言う、アリスじゃないから。 たぶん、ちゃんと申し開きの場が設けられれば、ハーツ君に迷惑はかからな…ー」

ハーツ「……」

(ハーツ君?)

ハーツ君は、私を見て寂しげな瞳でうつむいてしまう。

◯◯「どうしたの?」

彼の様子が気になって、少しだけ身を寄せると……

ハーツ「アリスがそんなこと言うから……」

◯◯「え……?」

ハーツ「アリスじゃないなんて、寂しいこと言わないで」

◯◯「あっ……」

彼の手が私の手首を掴んで、私を抱き寄せた。

年下だと思っていた彼の腕の中は、とても広くて、私よりずっと温かくて……

◯◯「ハーツ君」

ハーツ「……」

深いガーネット色の瞳が、切なそうに私を映し出している。

それはまるで、アリスという存在を失うことを恐れているようだった。

(ちゃんと男の子だと思ったら、こんな子どもみたいな顔もする……)

(どうしたらいいんだろう。なんだか、放っておけない)

◯◯「ごめん……そうだね」

ハーツ「……」

ハーツ君は唇を閉じたまま、ゆっくりと頷く。

◯◯「ねえ、ハーツ君にとってアリスってどんな存在なの?」

ハーツ「それは……憧れてて、リスペクトの塊で、それで初恋の人で……」

◯◯「そうなんだ……」

ハーツ「あと……」

ハーツ君はしばらく視線を地面に落として言葉を探しているようだったけど、やがて、顔を上げて…ー。

ハーツ「俺を変えてくれる人だって……。 世界を変えられるくらいだから、きっと俺にも新しい気づきや気持ちを教えてくれるって思ってた」

私をもう一度抱きしめ直し、ハーツ君はつぶやくように言葉を紡いだ。

◯◯「そうだったんだ」

私はハーツ君の背中に腕を回し、頭を彼の胸元に委ねた。

(私にとっては童話の世界の少女でも、ハーツ君にとってはかけがえのない特別な存在……)

自分ではなく、アリスに向かう彼の感情を想い、切なさが込み上げる。すると…一。

ハーツ「お前も、俺に新しい気持ちをくれた」

◯◯「え……?」

その言葉にハーツ君を見上げると、愛おしそうに私の髪が撫でられた。

ハーツ「楽しかったんだ。お前が来てくれてから。 なんか、すっげーわくわくしたっつーか。今もこんな状況だけど、俺すっごいドキドキしてて」

◯◯「ハーツ君……」

ハーツ「だからお前は、誰がなんと言おうと俺だけのアリスだ……アリスでいて欲しい」

◯◯「……」

(なんて言ったらいいんだろう)

ハーツ君のアリスへの憧れや恋心は、確かにまだ存在していて……

でもそれが、確かに今、私に向けられていることも同時に感じて……

◯◯「私……ハーツ君の傍にいたい」

上手く言葉が見つからず、ただ自分の気持ちを、素直に彼にそう伝える。

すると…一。

ハーツ「……」

顔を上げると、彼のまだ大人になりきれない顔立ちの中心で、瞳が細められていた。

切なげな眼差しが、辺りを照らす月光よりも静かに私へ向けられる。

ハーツ「それ、マジに言ってる……?」

◯◯「うん」

しっかりと答えると、ハーツ君の頬が嬉しそうに赤く染まる。

ハーツ「俺のアリス。ううん、俺の……◯◯」

◯◯「え?」

優しい声が、不意に私の本当の名前を呼んだので、胸の辺りがちくりと痛んだ。

ハーツ「あ……」

ハーツ君自身も、少し驚いたような顔をしていた。

ハーツ「◯◯……」

もう一度確かめるように、私の名前が彼の口から紡がれる。

どうしようもない切なさが込み上げ、唇を閉じると、彼の手のひらが私の頬を包んだ。

ハーツ「どうしたの……?」

◯◯「なんでもないよ……」

ハーツ「俺、絶対お前のこと守るから……だからこれからもずっと俺のアリスでいて」

静かに囁かれた声に頷くと、また彼は私を抱きしめた。

そして…ー。

前髪を掻き上げられ、額にキスが落とされる。

ハーツ「ずっと、俺の傍に…ー」

ハーツ君の瞳には、私の姿がしっかりと映し出されていた。

やがて、唇にも柔らかいキスが落とされて……

私はもう一度、ハーツ君に名前を呼ばれることを待った…ー。

おわり。

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